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福岡地方裁判所小倉支部 昭和34年(ワ)130号 判決

原告

平田朋子

外一名

被告

みつわタクシー株式会社

主文

被告は、各原告に対し、それぞれ金二十五万円及びこれに対する昭和三十四年一月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をなせ。

原告等その余の請求は、いずれもこれを棄却する。 訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告等の負担とする。

この判決は、第一項に限り、各原告において、それぞれ金五万円の担保を供して、仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、被告は原告両名に対し各金四十万円宛及びこれに対する昭和三十四年一月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をなせ。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は原告等の請求は、いずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は別紙記載のとおりである。(証拠省略)

理由

被告が肩書地に本店を有し、タクシー業を営む商事会社であること、原告等の亡父平田守夫が昭和三四年一月六日午後二時頃小倉門司間西鉄電車道路を門司駅前停留所方面に向つて歩行し、門司市大里中通町訴外中原周三郎方前に差しかかつた際、訴外佐藤春吉がその後方から自動車を運転してきて、右自動車の左前部を亡守夫に追突して顛倒させ、よつて同人に頭部挫創兼頭蓋底骨折の傷害を負わせ、同日午後八時同市大里御所町一丁目医師久場長章方において死亡するに至らしめたことは当事者間に争いがない。

先ず、右事故が訴外佐藤春吉の過失によるものか否かについて検討する。右事故発生時被害者亡守夫が同所道路左側を通行していたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証の一乃至三、同第五、六号証、同第九、十号証によれば、右現場附近の道路は幅約十五米、直線平担で見透しはよく、舗装してあつて、歩道と車道の区別はなく、道路中央部に複線の電車軌道が敷かれていてその両側を自動車が通行し、更にその両外側を歩行者が通行しているが、当時道路左側には残雪があつて雪融けのため歩行困難であつたので、亡守夫は道路左端から約三・四米の位置を特に後方に注意することもしないで歩行しており、一方訴外佐藤は小型乗用車に乗客一人を乗せて時速約三十粁乃至三十五粁の速度で進行し、約六十米位後方で前方に亡守夫の姿を認めたが、その際他に車の通行はなく減速して右廻することも可能であつたに拘らず、別に危険はないものと考え、警笛も鳴らさず、そのままの進行速度で、亡守夫の右横約六十五糎附近を通り過ぎる状態で接近したところ、同人が突然右側によろめいてきたので、その瞬間ハンドルを右に切つたが及ばず、前記本件事故の発生をみるに至つた事実を認めることができる。右認定の妨げとなる証拠はない。以上認定の事実に徴すると、亡守夫が道路左側を通行していたこと(原告は、道路右側は工事跡の盛土の上に雪が積つていて歩行困難であつたというけれども、これを認めるに足る証拠はない。)、事故現場附近に差しかかつた際道路左端が歩行困難であつたため稍々中央寄りに進路を採つていたに拘らず後方に注意しなかつたことは同人の過失であつたと認めざるを得ないけれども、これがために訴外佐藤に過失がなかつたということはできない。凡そ、自動車の運転者は前方に歩行者を認めたときは、これを安全に追越すため万全の注意を払うべきで、特に本件の場合のように、道路に残雪があつて歩行困難な場合には歩行者がよろめくこともあり勝ちなことであるから、これを追越す際は歩行者との間隔を十分にとり、その間隔をとり得ない場合には予め警笛を吹鳴して歩行者の注意を喚起し、且つ速度をゆるめて急停車できる態勢をとる等、事故の発生を未然に防止するに必要な注意をなすべき義務があるものというべきである。訴外佐藤がこの措置を採らなかつたことは本件事故発生の一因をなしているものといわざるを得ないのであつて、その過失を看過することはできないのである。

されば、本件事故の発生は訴外佐藤の不法行為によるものというべきであるが、被告がそのタクシー営業のため同訴外人を雇入れ、本件事故発生の際同訴外人は被告の事業の執行として本件自動車を運転していたことは被告の認めて争わないところであるから、被告は右訴外人の使用者として、右不法行為によつて生じた損害を賠償すべき責任があるものといわねばならない。

そこで、進んで本件事故による損害の額について審究する。成立に争いのない甲第一号証、証人岡田一男(第二回)の証言によつて成立を認め得る同第十二号証の一乃至十、同第十三号証の一乃至九証人川口栄一の証言によつて成立を認め得る同第十四号証の一、二に、証人岡田一男の証言(第一、二回)、原告等法定代理人の供述(第一、二回)を綜合すると、亡守夫は死亡当時門司市大里別院通一丁目畳製造業訴外岡田一男に雇われ、畳製造職人として稼働し、平均月収金二万円を得ており、うち毎月平均金六千円を生活費として費消していたこと及び同人は死亡当時四十七年で、なお十三年間の稼働能力があつたことを認めることができる。右認定の妨げとなる証拠はない。されば同人は一ケ月につき金一万四千円の得べかりし利益を喪失したもので、この金額と右稼働可能の期間を基礎とし,ホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると、亡守夫の死亡時における得べかりし利益の喪失額は金百三十二万三千五百四円となる。しかし、本件事故の発生については、被害者亡守夫の過失もその要因をなしていることは前説示のとおりであるから、これを斟酌するときは、被告はうち金三十万円の限度において右損害の賠償をなすべき義務あるものというべきである。ところで前顕甲第一号証によれば、亡守夫の相続人は原告両名だけであることが明らかであるから、原告等は各相続分に応じ右金額の二分の一に相当する金十五万円宛の損害賠償請求権を承継取得したわけである。

次に、本件慰藉料の額について考えると、前顕甲第一号証並びに原告等法定代理人本人の供述(第一、二回)によれば、原告等はそれぞれ亡守夫の長女(昭和二十二年八月一日生)及び長男(昭和二十六年六月十一日生)で、亡父守夫は昭和三十年一月二十日その妻である原告等法定代理人と協議離婚し、親権者を亡父守夫と定められていたが、事実上は広島県加茂郡西条町の右法定代理人方で同人に養育され、亡守夫は前記勤先から養育費の仕送りをしていた事実が認められるのである。右事実の外、亡守夫の死亡によつて原告等が直接に受けた精神的苦痛、後段認定の事故発生後の被告の措置、原告等が受領した自動車損害賠償責任保険金の額、その他諸般の事情を綜合して勘案すると、原告等の精神的損害に対する慰藉料の額は各金十万円を以て相当とするものというべきである。

被告は、本件事故発生後、昭和三十四年一月八日、原告等の親権者である法定代理人平田安枝と当時の被告代表者との間において和解が成立し、原告等の本件損害賠償請求権はこれによつて消滅した旨主張し、成立に争いのない乙第一号証、同第三号証の二、三、証人末幹雄の証言によつて成立を認め得る同第二号証の一乃至三、同第三号証の一、四、五、同第四号証の一乃至十一、同第五号証並びに証人末幹雄の証言によれば、被告主張の如き和解契約が成立し、その覆行として被告において亡守夫の医療費葬儀費等を負担した外自動車損害賠償責任保険金三十万円の受領に協力したかのようであるが、前顕甲第一号証によると、原告等法定代理人は当時原告等の親権者として原告等を代理する権限がなかつたことが明らかであるから、右和解契約は原被告間における有効な契約であるとはいい難い。この点につき被告は、亡守夫と原告等法定代理人間の協議離婚は仮装のもので無効である。そうでないとしても、右法定代理人は後見人に就任後も右和解契約の履行に関し被告と折衝したのであるから前契約と同一内容の新契約をなしたものである。というけれども、凡そ離婚は戸籍吏に対する届出によつて何人に対してもその効力を生ずるものであるから、法定の手続によつてそれが無効とされない限りこれを有効とみるの外はない。従つて、右和解契約成立当時右法定代理人が原告等の法定代理人であつたとはいい難く、又同人が後見人就任後、前契約の履行につき被告代表者と折衝した事実があつたからといつて、これを以て直ちに前契約と同一内容の新たな契約をなしたものとは断じ難い。すなわち、この点に関する被告の抗弁は採用の限りでない。

よつて、被告は各原告に対し前記損害賠償金十五万円、慰藉料金十万円、計金二十五万円及びこれに対する右債権発生の日である昭和三十四年一月六日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、又これを以て足ることが明らかであるから、原告等の本訴各請求は右の限度において正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条第九十三条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 長友文士)

(別紙)

第一、原告等の事実上の主張

一、請求の原因

(一) 原告等の亡父平田守夫(明治四十五年二月十八日生)は、その生前門司市大里別院通一丁目に居住し、同所アサヒ畳商会こと訴外岡田一男に雇われ、畳製造職人として働いていたもので、被告は肩書地に本店を有し、タクシー業を営む商事会社である。

(二) 亡守夫は、昭和三十四年一月六日午後二時頃、小倉門司間西鉄電車道路を小倉側から門司駅前電車停留場方面に向つて歩行し、門司市大里中通り町訴外中原周三郎方前に差しかかつたところ、同所道路東南側(同人の進行方向からいつて右側、以下右側という。)は、工事跡に埋土が盛り上げてあり、その上に雪が積つていて歩行困難であつたため、道路北西側(同人の進行方向からいつて左側、以下左側という。)を歩行していた。その際被告に雇われている自動車運転者訴外佐藤春吉は、被告所有の自動車を運転し、亡守夫の後方から、同所道路左側を門司方面に向つて進行して来て、約六十米位前方に亡守夫が歩行しているのを認めながら、自動車運転者としての注意義務を怠り、徐行、急停車等臨機の措置をとらなかつたため、右自動車の左前部を亡守夫に追突させて同人をその場に顛倒させ、よつて、同人に頭部挫創兼頭蓋底骨折の傷害を負わしめ、同日午後八時門司市大里御所町一丁目医師久場長章方において右傷害のため死亡するに至らしめた。

(三) 亡守夫は、その死亡当時配偶者なく、相続人としては長女である原告朋子(昭和二十二年八月一日生)及び長男である原告博幸(昭和二十六年六月十一日生)の一男一女があるだけであつた。一方、被告はその営業のため運転者として訴外佐藤春吉を使用していたもので、同訴外人は被告の事業の執行として右自動車を運転し、その運転中前記過失により亡守夫を死亡するに至らしめたものであるから、被告は同訴外人の使用者として亡守夫の子で相続人である原告等に対しこれによつて生じた損害を賠償すべき責任がある。

(四) ところで、亡守夫は生前、前記畳職人として平均月収金二万円を得ていたが、生活費として毎月平均六千円を要していたから、同人はその死亡により一ケ月につき金一万四千円の得べかりし利益を喪失した。同人はその死亡当時四十七歳であつたから六十歳に達するまで十三年間の稼働能力があるので前記割合によつて計算すると、合計金二百十八万四千円の得べかりし利益を失つたわけである。右金額を基礎とし、ホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると、金百三十二万三千五百四円となる。これは亡守夫が被告に対して取得した損害賠償債権で、原告等はその相続分に応じ各その二分の一に相当する金六十六万千七百五十二円宛を承継取得した。

(五) 原告等には母もなく財産もないので亡守夫のみを唯一の頼りとして生活していたのであるが、本件事故のため父を失い、幼少の身で将来世の荒波と戦いながら処世しなくてはならない悲運に陥つたが、この精神苦痛は各金十万円の支払を受けることによつて慰藉さるべきである。

(六) よつて、原告等は各自被告に対し前記損害賠償債権のうち金三十万円及び慰藉料金十万円計金四十万円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和三十四年一月六日以降右各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。

二、被告の抗弁に対する陳述

(一) 本件事故の発生につき亡守夫に過失があつたとの点並びに和解契約成立の事実はこれを否認する。但し、亡守夫の治療費、葬儀費として被告から若干の金員の支払を受けた事実はこれを認める。

第二、被告の事実上の主張

一、請求の原因に対する答弁

(一) 被告が原告主張の如き業務を営む商事会社であること、訴外佐藤春吉が原告主張の日時場所で、その主張の如く歩行中の亡守夫に自己の運転する自動車を追突させて、その主張の如き傷害を与えよつて、その主張の日時場所で同人を死亡するに至らしめたこと被告がその営業のため運転者として訴外佐藤春吉を使用していたこと、本件事故発生の際同訴外人は被告の事業の執行として本件自動車を運転していたことはこれを認める。その余の事実はすべてこれを争う。

(二) 亡平田守夫は、本件事故発生の際道路の左側、しかも歩道と車道の区別ある道路であるに拘らず車道を通行していたものであるが道路を歩行する際多少歩行に不便な個所があるからといつて左側を通行したのでは交通の安全は期し難い。左側を通行するとしても本件の場合もつと左端を通行することができたのに亡守夫は前叙の如く車道を通行していたものである。これに反し、運転者訴外佐藤春吉は車道左側を通常の速度で進行し、亡守夫を追越す際には同人と車体との間隔を六十五糎位おいて同人に多少の動きがあつても危険を生じない状態で進行していた。にも拘らず、亡守夫が突如よろめいて車前に飛込み自ら本件事故を発生せしめたものであるから、本件事故の発生は、運転者たる訴外佐藤の過失によるものではなく、却つて、被害者たる亡守夫自身の過失によるものであるから不法行為は成立せず、被告に損害賠償の責任はない。

二、抗弁

(一) 仮に、訴外佐藤に過失があり、従つて、使用者たる被告に損害賠償の責任があるとしても、原告等の実母訴外平田安枝は原告等の親権者として昭和三十四年一月八日当時の被告代表者訴外末幹雄との間に、被告は原告等が自動車損害賠償責任保険金の請求をなすにつき協力し、且つ医師の治療費並びに葬儀費用を負担すべく原告等は爾余の請求をしない旨の和解契約が成立し、当時、被告は右約旨を履行したのであるから、被告の損害賠償債務はこれによつて消滅した。尤も、訴外安枝は昭和三十年一月二十日亡守夫と離婚し、亡守夫を原告等の親権者と定める旨戸籍簿に登載されているが、右は離婚を仮装したに過ぎないもので、引続き原告等の親権者であつたのであるから右和解契約は有効である。若しこの主張が理由なしとしても、訴外安枝は昭和三十四年一月二十三日原告等の後見人に就任した後本訴提起に至るまでに、右和解契約の履行に関し被告と交渉をしてきているので、これによつて右契約と同一内容の和解契約がなされたものというべきである。

(二) 前項の抗弁が認められないとすれば、本件事故の発生については被害者たる亡守夫にも過失があつたことは前叙のとおりであるから、損害賠償の額を定めるにつきこれを斟酌さるべきである。 以上

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